2005年11月20日

慌ただしさと出会いとつながりと神話の役割

ワークロードがきついと聞かされていたロースクール2年目の冬学期ですが、確かにとってもきついです。で、この学校関係だけで結構疲れ気味なところに、11月の前半は勉強や仕事と関係ないけど色々と準備や実行に時間の取られるイベントが重なってしまい、スケジュールがすっかりオーバーフロー状態となってしまいました。随分と慌ただしくなってしまったわけですが、お陰で色々な人達や話題との出会いがあり、また懐かしい人達とのつながりを確認することができました。そんな中で出会った話題の一つが「神話」です。 
 
10月から始まったロー・スクール2年目の冬学期。僕としてはこれまでの四つの学期の中で一番大変というか、消化不良感が強い感じです。お陰ですっかりこのブログも、日記ならぬ月記と化してしまっていますね。

そんな中、11月には学校以外のイベントも色々と重なってしまいました。その中でも自分にとって色んな意味でインパクトの大きかったのが、一つは生まれ故郷の新潟県三条市へ講演をきっかけに久し振りに訪れたこと。もう一つは、現在副会長の一翼を仰せつかっているUCLA日本同窓会の創立30周年記念総会と、その翌日に丸一日かけて行われたUCLA主催の「UCLA Asia Leadership Council Conference」という国際会議の運営に携わったことです。

三条では講演の後、幼稚園、小・中時代の幼なじみと三条の夜の街で飲んできました。中学三年になるときに埼玉に引っ越して転校した僕としては、彼らに会うこと自体が20数年ぶりだし、お酒を飲みながらじっくり話しをするのは初めて。東京では子供の頃の思い出を話し合うような相手もいないので、ほとんど完全に記憶の遥か奥底に消え去ってしまっていた幼稚園、小学校時代の思い出話に花が咲きました。彼らが温存してくれていた記憶によると、僕は随分と変わった子供だったようですね(ここではお恥ずかしくて何も書けませんが)。今ではすっかり普通のつまらない大人になってしまっております、、、。

UCLA関係のイベントでは、30周年記念総会の特別講演をしていただいた河合隼雄さん(文化庁長官、UCLAの大先輩)から神話に関するお話しを伺えたのが印象的でした。曰く、『科学』は物事を客観的に判断するためには役立つが、事が自分自身や身内に関わる問題となると納得のいく答えを全く与えてくれない。婚約相手が不慮の交通事故で亡くなり、「何であの人が死んでしまったの?」と叫び続ける女性に対して、「出血多量で亡くなりました」と答えてあげても何の解決ももたらさない。自分自身や身内にふりかかった問題に対しては、『物語』で答えてあげないと納得することはできない。こうした人間の悩みの拠り所となる物語の集積が世界各地の神話である。で、世界各地の神話を丹念に研究し、意外な類似点や特徴を探し出していくのはとても面白いんだそうです。話題はここから河合さんが多くの著書で書かれたり色んな講演でお話しをされている日本の『中空均衡構造』へと移っていき、これがまた非常に面白いのですが(ネットに掲載された書評などでも色々と面白い説明が出てきます。例えばこれとか)、僕としては「科学は自分や身内に関わる問題に何の解決も与えてくれない」という言葉が妙に心に残りました。

法科大学院での勉強は大変で、それはそれだけでも十分に色々と面白いのですが、そんな中でも敢えてバタバタと慌ただしいスケジュールに身を置くことができたお陰で、こんな出会いや発見とも巡り会えたものと思います。法律のこともまだまだ全然良く分かっていませんが、詰まるところは人間同士の問題を解決するための手段であるはずです。人間のことを少しでも深く分かっていなければ、十分に納得のいく解決は得られないのではないでしょうか。もちろん、人間のことを「分かる」なんてそもそも不可能なことなのでしょうが、少しでも人との交わりを大切にして、『物語』を肌で感じる機会を多少なりとも増やしていきたいものだと感じた次第です。

(この記事、11月後半に書きかけていたのですが、その後もスケジュールのオーバーフロー状態が継続し書きかけのままとなっていたのを、冬休みに入ってようやくアップしました。情けないほどの情報処理の遅さです。)
posted by Takao at 20:37| Comment(0) | General
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